むかし むかし

2017.01.05(10:35)

1月5日です。 今朝はシンシンと粉雪が降っていました。

 気温はずいぶん高めで、朝でも-7度しかありませんでした。
 でも日中もほとんど気温は上がらないとのこと。
 今日は、午後からでも歩いてこようかな?

 多くの方が休み明けの仕事についているのでしょうね。
 野付ウシはリタイア組なので毎日が休日・・・いいだろう?\(^o^)/

 夫婦二人のお正月で、食事しながら昔ばなしをしていて、アレコレ思い出しました。
 今日は少しばかり、そんな想い出ばなしを綴ってみようかと・・・半世紀以上前のことです

 個人的な昔ばなしなので、すっ飛ばしてイイですよ!

 ※写真と文章は何の関係もありません(仁頃山の冬の一部分を挿入してます)

 
 年に一度くらいしか行かない神社のお話しから・・・

 生まれ育った里山には今も小じんまりした神社があります。
 鳥居から神社までの坂道の両側には桜並木があります。
 冬は雪深い場所ですし、民家も散在しているので人が集まることもなかったようです。
 つまり、お正月に初詣の習慣が無かったわけです。

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 (富里ダム湖の奥の方からの眺め)


 野付ウシの家族も山合のあばら家で冬ごもりをしていました。
 お正月と言っても出かけることもなく、子供は外で雪遊び・・・
 当時の市街地(村ですが)へは、馬ソリに毛布と湯たんぽ積んで出掛けていました。(片道4-5km)
 まだ自家用車も普及していない時代ですから、距離感も違い随分遠く感じました。
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 (林道にある巨木の根ですが、一部の人はマリア様とも呼んでいます)


 自宅は松林の中を伐採し、その材料を使ってほぼ手作りのようなものでした。
 もちろん大工さんや部落の人達が手伝ってくれますが。
 当時のことですから、赤土にワラを混ぜ込んだ土壁に一部は板壁です。
 土壁は冬に乾燥して縮むので、柱との間に隙間ができます。
 つまり、家の中から僅かながら外が見える状態ですね。
 寒風が入り込むのですが、雪深くなればそれも解消されます。
 今より気温も低く、マイナス30度なんて珍しくなかった時代です。

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 (仁頃川の源流は冬でも流れが耐えません=雪&氷の下を流れる)


 暖房は今の薪ストーブ(後に石炭ストーブ)だけです。
 当然ながら台所や寝室などは暖房無しで氷点下のまま・・・
 寝室の壁の隙間からは外の雪が見えるような状態です。
 朝には、吐く息が凍って顔周りの布団が真っ白になっていました。
 寝る時は湯たんぽが必須でしたね。

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 里山ですから水道なんて無し...自宅近くの沢に井戸を掘っていました。
 当然ながら手作業で掘った「ただの縦穴」ですが、水が溜まれば「井戸」ですね。
 冬は分厚い氷が張りますので、ツルハシで割ってから水を汲みます。
 その水をバケツで台所の大きな水瓶or樽まで運んでいました。
 その後、ポンプが普及し、別の場所に井戸を作りました。

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 冬場には父親が木材伐採のアルバイトをしたことがあります。
 現場までくっついていったことが何度かありましたね。
 日の丸弁当(御飯と梅干しだけ)を持って行き、山で食べていました。
 しっかり布で包んでおかないと弁当がカチカチに凍ってしまいます。
 伐採した木材は馬ソリを引いていった農耕馬で移動させ積み上げます。
 懐かしい光景ですが、そこで鋸の使い方や研ぎ方、目立てを覚えたのですね。

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 (仁頃山登山道入り口の看板です)


 冬場は学校へ行くのにスキーを履いて通っていました。
 往路は下りですからラクチンですが、戻りは坂道でキツかったです。
 物心つく前には別の家に住んでいたのですが、その場所は何とスキー場の一番上??
 急斜面の一番上に自宅があったのですが、その傾斜は冬場にスキー場だったのです。
 もちろん部落の人+学校の児童専用ですが。。。
 坂の上ですから、あまりに風や雪が強く、林で囲まれた場所に引っ越したわけです。

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 (キタキツネがモグラかネズミを食べるために掘った穴です)


 野付ウシの経験はこの程度ですが、両親が独立した時はもっと過酷だったようです。
 人力と農耕馬だけで切り株を取り除き、少しずつ農地を広げていったのですから。
 食うや食わずで兄弟4人を育て上げたのですから、今思えば感謝しかないですね。 

 野付牛は戦後しばらくして生まれましたので、ものが無い時代も少し知っています。
 白い米は食べられず、イナキビ(今は小鳥の餌)やえん麦(今は馬の餌)を食べたりしました。
 学校では給食で同じものを食べましたが、遠足の時には親が白米を調達してくれました。
 麦ごはんの弁当で恥ずかしい思いをさせたくない...そんな心遣いでした。

 東京オリンピックの時にはテレビも少しずつ普及し始めていました。
 それから怒涛の高度成長期へ突入しました。
 現在はモノが溢れる消費社会・・・
 そんな端境期を生きてこれたのも運が良かったと思っています。

 今の野付ウシをつくってくれたのは、そんな時代背景&環境です。
 甘いも辛いも見て、体験したから、少し強くなれたのでしょうね。
 同年代のひとたちは似たような体験をしているはず。
 
 一つ思い出せば、次々によみがえります。 
 年をとると、こんなことが時々起きるんでしょうね。
 
 たまにはいいか! と思いつつブログに書いてしまいました。

 懐かしい想い出です。。。
 



 ※山歩きの記録は こちら にまとめてあります。

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私めのこと トラックバック(-) | コメント(14) | [EDIT]
コメント
我が家は、農家ではありませんでしたが
似たような、生活環境でしたね

因みに、山親父は、S23年生まれです
【2017/01/05 10:55】 | 山親父 #- | [edit]
野付ウシさんの思い出話しに
私も懐かしくなりました。

お布団の息がかかるところに白い霜...
湯たんぽではなく我が家は豆炭カイロでしたが
ストーブの中で真っ赤に燃やし
それが朝まで暖かかったです。

火傷してはいけないからと
小さな毛布で何枚も包み
着物の紐でぐるぐるにしていました。
毎日冷たい足をピトッとつけて眠ったものです。

母も勤めに出ていたので
冬、最初に帰ってくる私が
石炭ストーブの火を焚きました。

半分燃えカスの上に新聞で輪を作り
真ん中に真っ黒な石炭を交互に積み重ね
その上に木の皮をのせ、マキをのせ
棒のようにネジって作った新聞紙に
特大マッチで火を点けて
木の皮目指して..ボッ!と・・・

時々、白い煙しか出なくて
それをデレキで突っつくとボン!と
一気に燃えるという驚く経験もしました。

前髪と眉毛が燃えました(笑)
小学低学年の笑っちゃう話です。

でも、失敗は良い経験になります。
家族で初めて行ったキャンプでは
火お越しをしただけで褒められました。

手馴れたもんでした。
何十年経っても、経験は宝ですね。

懐かしさを思い出させてくださって
ありがとうございました!

【2017/01/05 14:09】 | iomama #rjxAb6ec | [edit]
馬そりに毛布
ひゃ~ぁ興味深いです

石炭ストーブは解るよっ井戸はお婆ちゃん家で汲んでたなぁ)

色んな経験をしているからこそ
今の時代に対し物申せる

今の若者が甲斐性がないのは
苦労を知らないからかもしれませんね

たまにそう思う事があります

【2017/01/05 15:13】 | ♪デコ♪ #gwQYCaNk | [edit]
山親父さん...コメントありがとうございます。

> 我が家は、農家ではありませんでしたが
> 似たような、生活環境でしたね
***この時代は特殊な家庭以外は似たり寄ったりでしたね。

> 因みに、山親父は、S23年生まれです
**2年ほど先輩になります。m(_ _)m
【2017/01/05 16:05】 | 野付ウシ #- | [edit]
iomamaさん...コメントありがとうございます。

> 野付ウシさんの思い出話しに
> 私も懐かしくなりました。
***バタバタして毎日が過ぎていくと、あまり思い出話もしませんね。
 同年代なら夫婦で昔ばなしもイイもんですよ。

> でも、失敗は良い経験になります。
> 家族で初めて行ったキャンプでは
> 火お越しをしただけで褒められました。
***失敗したり、痛い目に遭ったりして賢くなっていきますね。
  逆境にも強くなっていきます。
  若年層に足りない部分でしょう。

> 懐かしさを思い出させてくださって
> ありがとうございました!
***何に足しにもならないことですが、普段と違うことに思いを馳せるのもイイかな?
【2017/01/05 16:12】 | 野付ウシ #- | [edit]
♪デコ♪さん...コメントありがとうございます。

> 馬そりに毛布
> ひゃ~ぁ興味深いです
***昔の里山では足元だけでも暖かくしていましたね。
  馬ソリだとオープンカーと同じですから・・・

> 今の若者が甲斐性がないのは
> 苦労を知らないからかもしれませんね
***「苦労させない」っていう親も良くないのでしょうね。
【2017/01/05 16:15】 | 野付ウシ #- | [edit]
現在は亡くなりましたが
私の母親の父親(おじいちゃんって事ですね)
は炭焼きをしてて毎朝暗いうちに馬車で仕事にでかけたそうです
その当時はムジナ(タヌキやキツネが化けた物)がたくさん出たそうですね~
【2017/01/05 20:58】 | 都丸 #- | [edit]
私は東京オリンピックの2年後に札幌で生まれました。
もの心ついたころには普通の住宅に住んでいたしテレビ(白黒)とかあったように記憶しています。
野付ウシさんの時代とはまた違う時代かと思いますけど、振り返るとずいぶん昔だったんだな~って。
厳しい時代を過ごすと人は強くなるような気がします。
今の若い人たちが作る未来はどんなもんなんだろ?
って考えるとあんまりいい感じがしませんね~
と同時に、そういうことを考える自分も年を取ったのでしょうね^^
【2017/01/06 00:00】 | watanabe #- | [edit]
昔はみんな貧しかったですね

わたしも東京オリンピックのときは小学生で

沿道で日の丸を振っていました!
【2017/01/06 07:22】 | ゲンタくんのパパ #- | [edit]
都丸さん...コメントありがとうございます。

> 私の母親の父親(おじいちゃんって事ですね)
> は炭焼きをしてて毎朝暗いうちに馬車で仕事にでかけたそうです
> その当時はムジナ(タヌキやキツネが化けた物)がたくさん出たそうですね~
***子供の頃は「あることないこと」たくさん話しを聞けましたね。
  実際に民家の近くにはまだ多くの動物が出没していましたね。
【2017/01/06 08:48】 | 野付ウシ #- | [edit]
watanabeさん...コメントありがとうございます。

> もの心ついたころには普通の住宅に住んでいたしテレビ(白黒)とかあったように記憶しています。
> 野付ウシさんの時代とはまた違う時代かと思いますけど、振り返るとずいぶん昔だったんだな~って。
***そんなに経っていない感じですが、半世紀を過ぎていたわけです。

> 今の若い人たちが作る未来はどんなもんなんだろ?
> って考えるとあんまりいい感じがしませんね~
***当の本人たちがどう考えるか知る由もないですが、
 心の豊かさは、薄れていくと感じています。

> と同時に、そういうことを考える自分も年を取ったのでしょうね
***その通り!トシをとったのです、が...まだまだ山は歩けますね(^_^;)
【2017/01/06 08:55】 | 野付ウシ #- | [edit]
ゲンタくんのパパさん...コメントありがとうございます。

> 昔はみんな貧しかったですね
> わたしも東京オリンピックのときは小学生で
> 沿道で日の丸を振っていました!
***前回のオリンピック真っ只中にいたわけですか!
 2020年も感動を受ける年になって欲しいですね。
【2017/01/06 08:58】 | 野付ウシ #- | [edit]
本州から開拓で北海道に来られた方は、よくぞ寒い北海道で堪え忍んでくれたと思います。
今のわたしたちの軟弱さを見ていたら嘆かわしく思うでしょうね
今日は-19.2℃まで下がりました。
それでも家の中はぬくぬく。
野付ウシさんの記事を読んで、文句を言ったら申し訳ないような・・・
先人に感謝ですね。
【2017/01/06 17:05】 | くぅ #Dv6DZoa6 | [edit]
くぅさん...コメントありがとうございます。

> 本州から開拓で北海道に来られた方は、よくぞ寒い北海道で堪え忍んでくれたと思います。
> 今のわたしたちの軟弱さを見ていたら嘆かわしく思うでしょうね
***時には先人のことを思い感謝の気持ちを、それでOKでしょう。

> 野付ウシさんの記事を読んで、文句を言ったら申し訳ないような・・・
***文句のレベルは時代で変わるので、今は普通でしょう(笑)
【2017/01/06 19:04】 | 野付ウシ #- | [edit]
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